Japan Through Time

栃木県 · 江戸時代 · 明治時代 · 近代 · 現代

The Ashio Copper Mine and Its Pollution

足尾銅山と鉱毒事件

栃木県の足尾銅山は日本有数の銅山に成長したが、その煙と廃棄物は山林と渡良瀬川流域の農地に被害をもたらした。被害、農民や村の人びとの動き、そして長い解決への道のりをたどる。

約7分 · 出典 13件

岩の多い川を見下ろす斜面に建つ、旧足尾銅山の製錬所の古びた建物と、さびた3基の丸いタンク。背後に緑の山と、岩肌の見える峰が見える
足尾銅山の製錬所跡(2015年7月撮影)。Saigen Jiro, 2015-07-25 · Wikimedia Commons · Creative Commons CC0 1.0 Universal Public Domain Dedication · 出典 · 縮小して掲載

栃木県日光市の足尾の山あいでは、1973年まで何百年にもわたって銅が掘られていた。19世紀の終わりには、足尾は日本でも有数の銅山に成長した。同じ銅山から出た廃棄物や煙は、周りの森林と、下流の渡良瀬川沿いの農地に被害をもたらした。

この記事では、銅山がどのように大きくなり、どのような被害が生じ、被害を受けた農民や地域の人びとがどう動き、その後の100年近くの間に問題がどう扱われてきたかをたどる。国土交通省は、足尾鉱毒問題を「日本の公害問題の先駆け」と位置づけている。

幕府の銅山

解釈が分かれる

銅山の始まりは、いくつかの形で伝えられている。文化庁は、天文19年(1550年)に発見されたという伝えを記したうえで、本格的な経営は慶長15年(1610年)からで、慶安元年(1648年)からは幕府の御用銅山になったとしている。栃木県は、一般には1610年の発見と伝えられているが、それ以前から銅山があったことを示す文書も見つかっていると書く。

栃木県によれば、足尾の銅瓦は日光東照宮、江戸の増上寺・寛永寺、江戸城の増改築などに使われ、銅を運ぶ銅山街道(あかがね街道)も設けられた。国土交通省は、足尾の銅がオランダや中国などへも輸出されたとしている。

古河のもとでの急成長

幕府が倒れると銅山は明治政府のものとなり、1871年に民営に移された。栃木県によれば、その後も産銅量は少なく、不振が続いた。

1877年、古河市兵衛が銅山を買い取って経営を始める。文化庁は、これを足尾銅山が大きな転機を迎えた出来事としている。

古河は新しい技術と設備を思い切って取り入れた。1887年には本山に火力発電所が建てられ、1886年に開かれた通洞坑は1896年に完成した。

栃木県は、1888年から1897年までに足尾が日本全国の銅の40%近くを生産するまでになったとしている。文化庁によれば、20世紀初めには日本の銅産出量のおよそ4分の1を担っていた。

文化庁は足尾銅山を、近代には銅鉱山として国内最大の生産量を誇った鉱山と説明している。町も銅山とともに大きくなった。栃木県によれば、1916年(大正5年)の足尾の人口は38,428人で、県内2位だった。

煙と洪水、そして鉱毒

栃木県は、生産だけを追い求めた施設の増強には代償があったと書いている。製錬所の煙は周りの山々をはげ山に変え、流れ出た排水は渡良瀬川の下流域に大きな被害をもたらした。文化庁は、各工程から出る廃棄物と、製錬のときに出る亜硫酸ガスを挙げている。

銅山で使う坑木のための伐採や、1887年の松木の大火災が、被害をさらに広げた。木のなくなった山肌からは雨のたびに土砂が流れ出し、洪水が多くなった。県によれば、この洪水が、下流の桐生から栗橋に至るまで、たびたび鉱毒の被害を与えた。

国土交通省によれば、渡良瀬川流域の田畑では収穫が激減した。上流では、煙害で山が草木の生えない裸地となり、松木村は廃村になった。煙害は、銅山が閉山する昭和の後半まで続いた。

請願と国会

文化庁によれば、1890年の渡良瀬川の大洪水で下流の農作物が被害を受けたことが、鉱害問題が表に出るきっかけとなった。この洪水のあと、谷中村の村長は、鉱毒の除去を求める陳情書を栃木県庁に出した。さらに、渡良瀬川流域の農民有志1,000人が連名で、足尾銅山の閉鎖を求める請願を行った。

1890年に栃木県から衆議院議員に選ばれた田中正造は、この問題に取り組んだ。国立国会図書館は、田中が議会の内外で一貫して鉱毒問題に取り組んだと書いている。国土交通省は、1891年の田中の国会質問によって大きな社会問題になったとし、栃木県は、田中が十数回にわたって被害を受けた人びとの惨状を訴えたとしている。

栃木県と文化庁によれば、1896年、政府は銅山に鉱毒予防工事を命じた。工事ごとに30日から180日の期限が定められ、期限までに終わらなければ操業を止めさせるという内容だった。

浄水場などが造られた。文化庁の本山製錬所の説明には、1897年の予防工事命令を受けて脱硫塔が設けられたことも書かれている。

国立国会図書館によれば、田中は1901年に議員を辞め、明治天皇に直訴した。

谷中村と遊水地

谷中村は渡良瀬川の下流にあった。国土交通省関東地方整備局のウェブサイトに載る資料は、谷中村を、室町時代から肥沃な農地として知られていたが、足尾鉱毒事件で大きな被害を受け、鉱毒反対運動の中心地となった村として紹介している。

国土交通省によれば、1902年8月の洪水で谷中村の堤防が切れ、同じ年の9月の大洪水では、村の周りが一面の湖のようになった。この年から渡良瀬川下流部の改修の構想が具体化し、遊水地の予定地の買収は栃木県が担当することになった。

県は谷中村の買収を進めたが、最後まで移転に反対する人がおり、帝国議会でも問題になった。1907年には土地収用法による強制執行が行われた。

国土交通省は、これを日本で最初の例としている。田中は1904年以降、谷中村を遊水地にする計画に反対する運動を続け、晩年は治水事業に力を尽くした。

渡良瀬遊水地は1910年から整備が始まり、1922年にほぼ完成した。栃木県は、用地買収で有名な谷中村事件を引き起こした歴史がある一方、遊水地は今も県南の治水の要として働いていると書いている。

労働者、閉山、そして調停

栃木県は、足尾を労働運動の発祥の地でもあるとしている。1907年2月、労働組合が坑夫の労働条件の改善を求めて会社と交渉している最中に、一部の坑夫が暴動を起こした。

警察は足尾全山に保安警察条例を執行し、軍隊も出動して、628人が逮捕された。1919年には18日間のストライキが行われた。

1956年に始まった新しい製錬法によって、亜硫酸ガスの排出は大きく減った。銅山は1973年に閉山し、輸入した鉱石による製錬も1988年に事実上止まった。栃木県によれば、足尾の人口は、閉山前の1973年2月1日の9,632人から、1年後には7,544人に減った。

農地の被害も、なお問題として残っていた。1972年3月、下流で農業を営む人びとが、足尾銅山の鉱業権者である古河鉱業を相手に、国の機関に調停を申し立てた。足尾事業所の廃棄物から染み出した銅などの重金属が、農業用水を通じて水田に入り、農作物に被害が出たという訴えだった。

公害等調整委員会によれば、1974年5月に調停が成立した。会社は、自らが排出した銅などの重金属によって損害が生じたことを認め、損害賠償金15億5千万円を支払うことになった。1976年には、会社と群馬県・栃木県などとの間で公害防止協定が結ばれた。

1980年に決まった計画に基づき、汚染された農地の改良工事が1980年度から1999年度まで行われ、古河鉱業の費用負担も定められた。群馬県の桐生地区と太田市韮川地区の被害者がつくった団体も、それぞれ1975年と1976年に会社との和解に至った。

上流では、伐採と煙害で裸地となった山々からの土砂災害を防ぐため、国が1937年に砂防事業を始めた。国の足尾砂防出張所は1993年度から、地元のNPO法人と協力して、主に小中学生を対象にした体験植樹を行っている。

足尾と渡良瀬川流域を訪ねる

通洞坑や本山製錬所跡などの銅山の遺構は、2008年と2014年に国の史跡「足尾銅山跡」に指定された。文化庁は、これらを日本の近代産業の発展と、鉱害とその対策の歴史を知るうえで重要なものとしている。

栃木県と日光の公式観光ガイドによれば(2026年時点)、1980年に通洞坑の跡を利用して開かれた「足尾銅山観光」では、トロッコに乗って長さ700mの坑道を見学できる。国土交通省によれば、足尾砂防堰堤のそばにある足尾環境学習センターも見学できる。

下流の栃木市では、渡良瀬遊水地の中に谷中村史跡保全ゾーンがある。村役場跡、雷電神社跡、延命院の墓地跡、家々の跡が残り、市の研修を受けたボランティアガイドが案内している。出かける前に、それぞれの施設の公式情報を確かめてほしい。

出典

  1. 幕末から近・現代までTochigi Prefecture
  2. 銅とともに生きた足尾栃木県日光土木事務所 (Tochigi Prefecture Nikko Civil Engineering Office)
  3. 田中正造|近代日本人の肖像National Diet Library
  4. 足尾銅山跡(文化遺産オンライン 国指定文化財等データベース)Agency for Cultural Affairs (文化庁, 文化遺産オンライン)
  5. 渡良瀬川流域の砂防事業(足尾銅山の概要)MLIT Kanto Regional Development Bureau, Watarase River Office (国土交通省関東地方整備局 渡良瀬川河川事務所)
  6. 日本の川 渡良瀬川 - 学習・体験(足尾鉱毒事件と煙害との関わり)Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism (国土交通省)
  7. 足尾における体験植樹のご案内MLIT Kanto Regional Development Bureau, Watarase River Office (国土交通省関東地方整備局 渡良瀬川河川事務所)
  8. 渡良瀬遊水地概成100年MLIT Kanto Regional Development Bureau, Tone River Upstream Office (国土交通省関東地方整備局 利根川上流河川事務所)
  9. 自然「湖沼」渡良瀬遊水地Tochigi Prefecture (栃木県)
  10. 谷中村史跡保全ゾーン 概要MLIT Kanto Regional Development Bureau (国土交通省関東地方整備局)
  11. 渡良瀬川沿岸における鉱毒による農作物被害に係る損害賠償調停申請事件Environmental Dispute Coordination Commission, Ministry of Internal Affairs and Communications (総務省 公害等調整委員会)
  12. Ashio Copper Mine (Nikko Official Guide)Nikko City Tourism Association (Nikko Official Guide)
  13. 自然歩道案内(足尾・古峰ヶ原コース)Tochigi Prefecture (栃木県環境森林部自然環境課)