能登半島の先端、珠洲市では、海水を人の手で浜から運び、砂の塩田にまいて、濃い塩水を煮詰めるという方法で塩がつくられてきた。「揚浜式」と呼ばれるこの技術は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
2024年1月1日、この半島を大きな地震が襲い、同じ年の9月には豪雨も重なった。この記事では、塩づくりの方法、加賀藩のもとでの発展とその後、そして災害について、公的な数字を時点とともに紹介する。
揚浜式の塩づくり
石川県の説明(2014年更新)によれば、珠洲市の揚浜式製塩は、海面より高い場所に粘土で人工の基盤を築いた「塗浜(ぬりはま)」という塩田で行われる。工程は二つに分かれる。塩田に海水をまき、塩分の付いた砂を集めて濃い塩水(鹹水〈かんすい〉)を採る「塩浜作業」と、鹹水を釜で煮詰めて塩を結晶させる「釜屋作業」である。
作業は春先の塩田の整備に始まり、日差しの強い夏に最盛期を迎える。県は、塩浜作業が「潮汲み3年、潮撒き10年」と言われるほどの熟練を要し、天候や雨風を予想しながら行われると説明する。釜屋では、熱気のこもる中で火加減を調整し、アクを取りながら夜通し作業が続く。
道の駅すず塩田村の運営会社は、ウェブサイトの日付のないページで、揚浜式の塩づくりの一日をこう紹介している。朝5時、仁江(にえ)海岸で、1つ約36リットルの桶で海水を汲むことから始まる。海岸を10回ほど往復して約800リットル入る桶を満たし、そのうち約600リットルを、約165平方メートルの塩田1枚に約40分かけて均一にまく。
砂は日に当てて8時間ほど乾かした後に集め、「垂舟(たれふね)」という木の箱に詰める。上から海水を注いで砂に付いた塩を溶かし、鹹水を採る。鹹水は平らな鉄の釜で約6時間煮詰め、1日ほど冷ましてろ過した後、さらに16時間ほど煮詰める。
加賀藩のもとで
石川県によれば、能登の製塩は、加賀藩が藩の産業として奨励したため、近世に独自の発展をとげた。農林水産省(農水省)はその時期を示している。寛永4年(1627)、3代藩主前田利常が、藩の財源と自給する塩の確保、農民の救済のために塩の専売制などを取り入れ、能登一帯に揚浜式製塩を奨励したという。
解釈が分かれる
この方法がいつまでさかのぼるかは、はっきりしない。農水省は、3世紀ごろに七尾湾岸で土器による製塩が始まり、5世紀ごろに能登で揚浜式の塩づくりが始まったとされると書く。一方、同じページの別の箇所では、揚浜式を「奈良時代から続く伝統技法」と呼んでいる。
衰退と継承
近代に入ると、製塩業は衰えた。石川県は、国の専売制が実施されると衰退の道をたどったと書く。
農水省はその経緯をいくつかの段階で説明している。明治時代には、新しい技術や施策の導入と、廃藩置県に伴う専売制の廃止によって、能登の伝統的な製塩業は衰えた。
農水省によれば、1958年には臨時塩業措置法によって、海水から直接塩をつくる伝統的な製塩が禁じられた。技術の保存と観光のために残された珠洲と輪島の3軒を除き、揚浜式の製塩業者は廃業した。
1961年にはそのうち2軒が転業し、担い手は珠洲市の角花(かくはな)家だけになった。1997年に同法が廃止されると、能登伝統の製法による塩づくりが復活した。
県によれば、珠洲市では長年製塩業に携わってきた角花家を中心に保存会がつくられ、(2014年の県の説明の時点で)揚浜式製塩の技術を伝えていた。県はこれを揚浜式製塩の技術の稀少な伝承例とし、日本の製塩技術の移り変わりを理解するうえで重要だとしている。
道具も文化財になっている。1969年、江戸時代から昭和初期にかけて能登の揚浜式製塩に使われた用具166点が、国の重要有形民俗文化財に指定された。
塩田の用具116点、釜屋の用具42点などからなる。2008年には、技術そのものが国の重要無形民俗文化財に指定された。
農水省によれば、この技術は1992年に石川県の無形民俗文化財にも指定され、2011年には「能登の里山里海」が世界農業遺産(GIAHS)に認定された。
令和6年能登半島地震
2024年1月1日16時10分、石川県能登地方の深さ16kmでマグニチュード7.6の地震が起きた。輪島市と志賀町で震度7、七尾市・珠洲市・穴水町・能登町で震度6強を観測した。その約4分前にも、マグニチュード5.5の地震が起きていた。
気象庁は16時22分、石川県能登の津波警報を大津波警報に切り替え、津波は日本海沿岸を中心とする広い範囲に到達した。気象庁によれば、国土地理院の観測で、輪島市西部では最大4m程度の地面の隆起が検出された。
気象庁はこの地震活動を「令和6年能登半島地震」と名付けた。この名称は、マグニチュード7.6の地震だけでなく、2020年12月以降の一連の地震活動を指すと説明している。
被害の状況
石川県の第233報(2026年9月30日14時現在)によれば、この地震による県内の死者は744人で、そのうち516人が災害関連死である。行方不明者は2人。負傷者は重傷401人、軽傷876人とされている。
県は災害関連死を、災害による負傷の悪化や、避難生活などでの身体的な負担による病気で亡くなり、災害弔慰金の支給等に関する法律(1973年)に基づいて災害が原因で亡くなったと認められたもの、と定義している。
同じ報告では、住家の全壊6,168棟、半壊18,724棟、一部破損91,621棟、浸水11棟、合わせて116,524棟の被害が記録されている。珠洲市だけで死者198人(うち災害関連死101人)、全壊1,757棟である。
2024年9月には、県が「令和6年奥能登豪雨」と呼ぶ豪雨がこの地域を再び襲い、9月21日から珠洲市など6市町に災害救助法が適用された。県はこの災害を地震とは別に集計している。第66報(2026年7月31日14時現在)によれば、死者は21人(うち災害関連死5人)で、そのうち4人が珠洲市である。
これらは県が更新を続けている公式の報告であり、最新の数字は県のウェブサイトで確かめてほしい。
珠洲の塩田を訪ねる
道の駅すず塩田村は珠洲市清水町にある。運営会社のお知らせ(2026年10月に確認)によれば、道の駅は2025年4月1日から土日を含め年中無休で営業を再開したが、塩の資料館は休館が続いていた。珠洲市は、一部だけ営業していた道の駅の売店が、2026年4月25日に全面的に営業を再開したと伝えている。
2026年10月1日現在、珠洲市では大谷町・仁江町・清水町の一部に避難指示が出ている。訪れる前に、珠洲市や各施設の公式サイトで最新の情報を確かめてほしい。
出典
- 能登の揚浜式製塩の用具Ishikawa Prefecture
- 揚浜式製塩の用具Ishikawa Prefecture
- 能登の塩(のとのしお)|にっぽん伝統食図鑑Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries (農林水産省)
- 揚げ浜式製塩の塩づくり(道の駅すず塩田村)Okunoto Enden-mura Co., Ltd. (株式会社奥能登塩田村, 道の駅すず塩田村)
- 令和6年能登半島地震Japan Meteorological Agency
- 令和6年能登半島地震に係る被害状況等について(令和8年3月31日16時00分現在)Cabinet Office, Government of Japan (非常災害対策本部)
- 令和6年能登半島地震による人的・建物被害の状況について(第233報 令和8年9月30日14時00分現在)Ishikawa Prefecture (防災対策課)
- 令和6年奥能登豪雨による被害等の状況について(第66報 令和8年7月31日14時00分現在)Ishikawa Prefecture (防災対策課)
- お知らせ|「道の駅」の営業を再開しています。Okunoto Enden-mura Co., Ltd. (株式会社奥能登塩田村, 道の駅すず塩田村)
- 道の駅すず塩田村 売店を全面営業再開しましたSuzu City (珠洲市観光交流課)
- 避難情報のお知らせ(避難指示【大谷町・仁江町・清水町】)Suzu City (珠洲市)
