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千葉県 · 江戸時代 · 近世

Soy Sauce and the Rivers: Noda, Choshi and the Tables of Edo

醤油と水運―野田・銚子と江戸の台所

江戸時代、野田と銚子の醸造家は川の水運を生かし、上方から運ばれていた醤油に代わって江戸の醤油の市場を手に入れた。

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2019年5月に撮影された、野田のキッコーマン工場にある白壁と瓦屋根、石積みの土台の蔵。右手前に松が立っている
2019年5月、野田のキッコーマン工場にある「御用蔵」。Suikotei, 2019-05-18 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

濃口醤油は今では日本の料理にあまりに身近で、かつてそれが市場を勝ち取らなければならなかったことは忘れられがちだ。江戸時代の初め、江戸で売られる醤油の多くは、京都・大坂のある上方から運ばれてきたものだった。その後の時代に、下総国の野田と銚子、今の千葉県の2つの町の醸造家たちが、その市場を自分たちのものにしていく。

これは、大豆と小麦、塩と水、そして何より川の物語である。千葉県によれば、千葉県は今、醤油の生産量が全国一である。

「下りもの」から地元の醤油へ

野田市の歴史の解説によれば、天正18年(1590)に徳川家康が関東に入ったころ、江戸の周りの農村は生産力が低く、江戸は京都や大坂からの「下りもの」に頼っていた。醤油も例外ではなく、江戸時代前期には上方からの醤油が主流だった。

江戸の町が整うにつれて関東でもさまざまな産業がおこり、上方からの輸送に頼らなくなっていった。関東の農村で作られた安い「地廻りもの」が、しだいに「下りもの」を押しのけていく。千葉県によれば、関東の醤油生産の中心として発展したのが、野田と銚子だった。

県はその理由を3つ挙げている。醤油づくりに向いた気候、江戸川・利根川の水運、そして原料の大豆・小麦を産する平野が近くに広がっていたことである。川を使えば、野田と銚子の醤油は短い期間に大量に江戸へ運ぶことができた。

醤油のつくり方

野田市はつくり方をこう説明している。蒸した大豆と煎った小麦に麹菌をつけ、塩水を加えて「諸味(もろみ)」とし、かき混ぜながら発酵させる。およそ1年後に諸味を搾り、搾った汁に火入れをすると醤油ができあがる。

こうして作られる醤油を「濃い口醤油」といい、今「醤油」といえばふつうこれを指す。市は、小麦を煎らずに使い塩分の濃い関西の「薄口醤油」や、小麦を使わず名古屋や三重県を中心に使われる「溜醤油」と比べて説明している。

銚子―西から来た人びとのための醤油

銚子は早くから醤油づくりを始めた。野田市の歴史の解説によれば、16世紀末から、摂津国西宮(今の兵庫県西宮市)や紀伊国(今の和歌山県)の漁民が、季節ごとに銚子や房総半島の東海岸を訪れた。17世紀前期には、定住して干鰯場(ほしかば)を開く漁民も多くなった。

こうした関西から移り住んだ人びとの味覚にあわせて、銚子周辺で醤油が造られるようになった。今のヒゲタ醤油の創業者である飯沼村の田中玄蕃家は、元和2年(1616)に西宮の商人・真冝九郎右衛門から醤油の醸造技術を教わったといわれる。

ヤマサ醤油の創業者・浜口儀兵衛は、紀伊国有田郡広村の出身である。市の解説によれば、はじめは上方からの「下り物」を商っていたとみられ、18世紀初めから味噌や醤油の仕込みを始めた記録が、同家に残る帳簿からわかる。

解釈が分かれる

一方、千葉県の公式観光サイトは、会社の紹介の中でヤマサ醤油の創業を1645年としている。市の解説は同家の帳簿から18世紀初めの仕込みを示しており、醸造を始めた年は説明によって異なる。

野田―江戸へ通じる川

野田のまわりの川の流れは、幕府が作り出したものである。野田市によれば、17世紀前期の工事で、それまで江戸湾に流れ込んでいた利根川の流れが変えられ、太平洋に注ぐようになった。これにより、銚子から利根川をさかのぼって関宿へ、江戸川を下り、小名木川を通って江戸へ物資を運ぶ道筋ができあがった。

関宿には元和2年(1616)に舟の関所が置かれた。市の解説によれば、幕府は江戸を守るうえで、水運の要としての関宿に注目していた。

野田の醤油には、始まりについての言い伝えがある。永禄年間(1558〜70)に飯田市郎兵衛の先祖が溜醤油を造り、武田氏に献上したのが始まりと伝えられている。ただし市によれば、史料で実際に確かめられるのは、寛文元年(1661)に上花輪村の名主・高梨兵左衛門が醸造を始めた例である。

18世紀後期には茂木家の各家でも醤油づくりが盛んになり、関東産の「地廻り醤油」が「下り醤油」を圧倒して、江戸の市場を独占するようになった。天明元年(1781)には野田の醸造家の仲間が結成されている。

距離が決めた競争

先に始めたのは銚子だったが、江戸に近いのは野田だった。天明3年(1783)4月、銚子の醸造家の仲間は、高崎藩の役所に冥加金の引き下げを願い出た。江戸から3、4里以内に醤油屋がいくつもでき、運賃などが安く済むため、たいへん評判がよいというのである。

そのため、訴えによれば、それまで得意先だった江戸の問屋も、銚子からの醤油を断ったり、値下げを求めたりするようになった。野田市によれば、銚子から江戸までは船で4〜5日かかったが、野田からは江戸川を使ってその日のうちに江戸へ荷を運べた。

市は、江戸への行きやすさが、18世紀後期から野田が急速に成長した大きな理由の一つだと考えている。文政7年(1824)の「野田組」の醸造家は19軒で、仲間全体の醸造高は幕末に向けて大きく伸びた。

河岸と、多くの働き手

野田の醤油は「河岸(かし)」と呼ばれる川の港から積み出された。野田市によれば、江戸時代には米をはじめ多くの物資が、関東や東北から利根川・鬼怒川の川舟で江戸へ運ばれ、逆に江戸からも各地へ物資が送られた。

野田にはいくつかの河岸があり、今上(いまがみ)河岸もその一つだった。幕府は1770年代に関東全域で河岸問屋を定め、冥加金を取り立て始めた。

今上河岸では、その負担を野田町の2人を含む5人で分けた。市は、ここから野田の醤油にとって今上河岸の舟運がいかに大切だったかがわかるとしている。

醤油づくりには多くの人手も必要だった。安政5年(1858)の報告書には、今上村にあった茂木佐平治の醤油蔵で多くの奉公人や日雇いが働き、その中に伊豆国から来た人もいたことが出てくる。市の言葉を借りれば、醤油と舟運が河岸に多くの人を引き寄せていた。

江戸城の醤油

19世紀には、野田の醸造家が江戸城に醤油を納めるようになった。文政12年(1829)に高梨兵左衛門家が、天保4年(1833)に茂木佐平治家が、江戸城本丸・西丸の御用醤油となった。19世紀中ごろには、旧野田地区の醸造家は19軒を数えた。

千葉県によれば、下り醤油よりも濃厚でキレのある濃口醤油は、江戸の町で大きな支持を得て、しだいに下り醤油を上回っていった。この濃口醤油にかつお節と白みりんが組み合わさって、江戸前寿司のツメ(寿司ネタに塗る甘辛いタレ)、ウナギの蒲焼き、天ぷらやそばのつゆなど、江戸前を代表する食文化が次々と花開いた。

近代へ

明治の初めにも、野田の醤油づくりは大きな規模を保っていた。市によれば、明治5年(1872)に野田の醸造家13家の仕込高は3万6550石で、ほかの産地とかけ離れた規模だった。明治10年(1877)には、東京・上野公園で開かれた第1回内国勧業博覧会で、茂木佐平治家の亀甲万印が賞を受けた。

明治20年(1887)に醸造家たちは組合をつくり、価格や出荷、賃金などを取り決め、明治33年(1900)には人車鉄道と銀行を設立した。大正6年(1917)には、多くが同族だった野田の醸造家が、山下平兵衛家を除いて大合同し、野田醤油株式会社が生まれた。商標はしだいにキッコーマンに統一され、市はこれが業界最大の醤油ブランドになったと記している。

野田・銚子を訪ねる

千葉県観光物産協会によれば、1959年に開館した野田市郷土博物館は県内で最初の登録博物館で、2階では醤油に関する資料と、野田市の歴史・民俗の資料を展示している。市によれば、博物館は開館以来、醤油づくりに関わる資料を集めてきた。

野田市市民会館は、1924年ごろに建てられ、1956年に市へ贈られた醤油醸造家・茂木佐平治家の旧邸宅である。

千葉県観光物産協会によれば、野田のキッコーマンの醤油工場の中にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」では、醤油ができるまでを見学しながら、もろみが熟成する様子を見たり、醤油の歴史などの展示で学んだりできる。2026年時点の同協会の案内では、入場は無料で完全予約制である。

同協会によれば(2026年時点)、銚子ではヤマサ醤油が予約制の工場見学を行っており、映像の上映と工場の見学のほか、歴史資料や昔の醤油づくりの道具などを展示している。

開館日や見学の時間は変わることがあるため、訪れる前に各施設の公式サイトで確かめてほしい。

出典

  1. 千葉県の発酵文化Chiba Prefecture
  2. 近世 江戸時代<時代概説>Noda City
  3. 近世の野田の醬油Noda City
  4. 河岸に集まる人びとNoda City
  5. 近代の野田の醬油醸造業Noda City
  6. 市民会館(旧茂木佐平治邸)建築100周年記念事業「野田のおしょうゆコレクション」と「夏障子の特別公開」Noda City
  7. 野田市郷土博物館Chiba Prefectural Tourism and Local Products Association
  8. キッコーマンもの知りしょうゆ館Chiba Prefectural Tourism and Local Products Association
  9. 【工場見学】千葉は醤油の生産日本一!「ヤマサ醤油」工場で発酵を学ぼう!Chiba Prefectural Tourism and Local Products Association