香取神宮は、千葉県香取市の古い杉の森の中に鎮座している。千葉県はこの神社を、旧下総国を代表する古い神社と説明している。祭神は、日本の神話に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である。
香取神宮は今も信仰の場であり、その歴史は3種類の手がかりから読み取ることができる。神社が伝える神話、神職の家が守ってきた古文書、そして幕府が建てた社殿である。この記事では、神話や伝承と、文書の記録からわかることを分けながら、順にたどっていく。
祭神と神話
香取神宮は、祭神について出雲の「国譲り」の神話で説明している。神社の説明によれば、高天原を治めていた天照大神は、荒ぶる神々が争う葦原中国(あしはらのなかつくに)を自分の子が治めるべきだと考えた。しかし出雲の大国主神のもとに遣わされた2柱の神は、いずれも戻らなかった。
そこで神々は、経津主神こそふさわしいと口をそろえ、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神も名乗り出て、2柱そろって出雲へ向かった。出雲の稲佐の小汀(いなさのおはま)で2柱が剣を抜いて武威を示すと、大国主神は国を譲った。
千葉県も同じ神話を紹介し、経津主大神は古代から武神として信仰を集めてきたとしている。これらは神社に伝わる神話であり、年代を確かめられる出来事の記録ではない。
神社の伝え(社伝)では、創建は神武天皇18年とされる。千葉県はこの年を社伝として紹介している。
東国の国家の神
香取は朝廷の歴史書にも登場する。千葉県によれば、『日本書紀』には祭神が東国の香取の地にあることが記されている。県は、香取神宮が古代には国家を守る神としてあがめられ、大和朝廷の東国経営の一翼を担ったとしている。
県によれば、古代の東国で「神宮」の社号をもっていたのは香取と鹿島である。香取神宮自身は、明治より前に「神宮」の称号をもっていたのは伊勢・香取・鹿島だけだったとしている。
香取神宮は、伊勢の神宮と同じように、決まった年ごとに建て替えられていた。県は、弘仁3年(812)の『日本後紀』に、20年ごとに社殿などを造り直す式年遷宮の記載があることを紹介している。平安時代にはこの20年ごとの建て替えの制度があったが、戦国時代にすたれた。
神職・神領・庇護者
神職の香取家に伝わる古文書は、平安時代後期から始まる。神宮の大禰宜(おおねぎ)の職を代々受け継いだ香取家には、平安時代後期から江戸時代にわたる381通の古文書が伝わり、重要文化財に指定されている。
県によれば、この文書群からは、大禰宜の職の受け継ぎ方、神領の構成、香取神宮の歴史の移り変わりがわかる。保元元年(1156)に始まる藤原摂関家の政所が出した文書14通、応保2年(1162)の譲状、そして大禰宜家が神領全体を支配するようになる過程を伝える応永6年(1399)の神領の検田取帳などが含まれている。
県はこれを、関東の神社文書を代表するものであり、千葉県の中世文書として最もまとまったものと評価している。
中世には、香取神宮は下総国の一宮となった。武家の文書も残っている。神宮が所蔵する古文書の中には、観応3年(1352)7月の足利尊氏の寄進状がある。
武術の伝統も香取神宮と結び付いている。天真正伝香取神道流の流祖・飯篠長威斎家直は、室町時代中期ごろ、香取神宮に隣接した場所で千日の修行を積み、香取の神から神書一巻を授かったと伝えられている。県はこの流派を無形文化財に指定している。
幕府による造営
千葉県によれば、江戸時代には香取神宮は徳川幕府の庇護を受けた。今の本殿は元禄13年(1700)に幕府によって造営されたもので、県の「香取神宮の森」の解説によれば、徳川綱吉によるものである。
本殿は黒漆塗りで、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)。蟇股や虹梁、組物には極彩色の装飾が施され、前の慶長期の造営の桃山様式の手法を受け継いでいる。県は、この形式の社殿として全国でも最大級のものと説明している。
その前に建つ楼門も元禄13年(1700)の造営で、朱塗りである。神社によれば、楼上の額は東郷平八郎の筆による。本殿・楼門はともに重要文化財である。
元禄13年(1700)に建てられた旧拝殿も残っている。昭和13年に今の拝殿が新築されたときに移され、今は祈祷殿として使われている。県は、元禄の造営時の社殿を知るうえで重要な建物としている。
今も続く信仰
神社によれば、明治以後の社格制度では官幣大社に列し、昭和17年に勅祭社とされた。例祭は4月14日で、6年に一度は勅祭として行われる。
神社によれば、香取の大神を祭神とする神社は、奈良の春日大社や宮城の鹽竈神社をはじめ全国各地にある。人びとは家内安全、農業・商工業、海上守護、縁結び、安産、交通安全などを願って参拝している。
神社の暦には多くの祭りが並ぶ。4月上旬に2日に分けて行われる御田植祭や、1月の醸造安全祈願祭などがある。
神幸祭は毎年4月15日に行われる。12年に一度の午年には、15・16日の2日間にわたって盛大に行われる。神社によれば、もとは20年に一度の式年遷宮大祭として行われていたとされ、戦国時代以降に式年遷宮が行われなくなったため、代わりに12年に一度の神幸祭を行うようになったとされる。
初日には、数千人の氏子の奉仕員が御神輿を中心に行列を組み、利根川沿いの鳥居河岸へ向かう。ここは、経津主大神が海路上陸したと伝えられる場所である。御神輿は御座船に移されて船上祭が行われ、鹿島神宮による御迎祭のあと、船は利根川をさかのぼる。
神社は土地の言い伝えも伝えている。境内案内によれば、「要石(かなめいし)」は、地震を起こすと恐れられた地中の大ナマズを押さえるため、香取・鹿島の大神が地中深く差し込んだ石だという。貞享元年(1684)に水戸光圀が掘らせたが、根元を見ることはできなかったといわれる。
香取神宮を訪ねる
境内には、朱塗りの楼門とその奥の本殿、奥宮、要石などがある。周りの森は県の天然記念物に指定されており、幹回りが3mを超える杉の大木が立ち並ぶ。
神社は多くの宝物を所蔵しており、その中には国宝の海獣葡萄鏡(白銅質の鏡で、葡萄唐草を地紋に、獅子などの獣や鳥を配している)がある。ただし宝物館は改修工事のため2023年10月23日から休館しており、2026年7月の神社のお知らせの時点で再開の日は決まっていない。
授与所や宝物館の受付時間などは変わることがあるため、訪れる前に香取神宮の公式サイトで確かめてほしい。
出典
- 香取神宮の御由緒Katori Jingu
- 宝物・文化財Katori Jingu
- 境内案内Katori Jingu
- 祭典と催しKatori Jingu
- 「宝物館」長期休館のお知らせKatori Jingu
- 香取神宮本殿 楼門Chiba Prefectural Board of Education
- 香取大禰宜家文書Chiba Prefectural Board of Education
- 香取神宮の森Chiba Prefectural Board of Education
- 香取神宮旧拝殿Chiba Prefectural Board of Education
- 武術 天真正伝香取神道流Chiba Prefectural Board of Education
- 香取市の国・県指定および国登録文化財Chiba Prefectural Board of Education
