愛知県は、自らを日本一のモノづくり県と呼んでいる。県によれば、国の調査で、2024年の県内の製造品出荷額等は約59.3兆円と全国の約15.5%を占め、48年連続で全国1位である。県は、自動車に代表される輸送機械の産業が有名だとしている。
この記事では、三河や知多の木綿の織り手から、豊田佐吉の織機を経て、ひとつの市の名前にまでなった自動車工場へと続く流れをたどる。
木綿の土地
愛知の綿の歴史は長い。愛知県は、『類聚国史』や『日本後紀』によれば、延暦18年(799)に崑崙人(インド人といわれる)が綿の種を持って幡豆郡福地村(今の西尾市)に流れ着いたと紹介している。これが日本への綿の伝来といわれる。
県によれば、国産の木綿がはじめて文献に現れるのは永正7年(1510)で、興福寺の大乗院に残る『永正年中記』に、年貢として「三川木綿」を受け取ったことが書かれている。江戸時代には三河地方で綿の栽培と綿織物が盛んになり、その織物は江戸方面へ送られた。さらに西洋の技術を取り入れ、明治時代には「三河木綿」「三河縞」の名で全国に知られた。
知多半島では、木綿づくりは農家の副業として始まった。県によれば、慶長年間(1600年頃)には生白木綿の江戸送りがすでに始まっていたと記録されている。その後、晒の技術を取り入れた「知多晒」は、廻船で江戸へ運ばれ、江戸で最も名の通った最高級の織物としてもてはやされた。
豊田佐吉と織機
特許庁によれば、豊田佐吉は慶応3年(1867)、遠江国(今の静岡県)に生まれた。トヨタ自動車の社史は、生まれた場所を山口村(今の湖西市)としている。
特許庁によれば、佐吉が18歳のとき専売特許条例が公布され、佐吉は「発明を生涯の仕事としよう」と決心した。明治23年(1890)、東京・上野の第3回内国勧業博覧会を見て、出品された機械のほとんどが外国製だったことから、国産の機械を研究開発する意欲をいっそう高めた。
最初の成果は木製人力織機だった。特許庁によれば、当時広く使われていたバッタン織機よりも生産性と布の品質を大きく高めたもので、明治24年(1891)に佐吉の最初の特許(特許第1195号)となった。トヨタの社史は、特許証の日付を1891年5月14日としている。
佐吉は次に、動力で織る機械に取り組んだ。特許庁によれば、明治27年(1894)に糸繰返機を発明し、その商業的な成功を背景に、3年後に木製動力織機を完成させ、翌年に特許を得た。特許庁は、これを「我が国初の動力で織る機械の誕生」としている。
愛知県によれば、明治時代、豊田佐吉の動力織機の発明をきっかけに知多の織物の生産量は飛躍的に伸び、日本経済の基幹産業としてめざましく発展した。
自動織機
佐吉はその後も改良を続けた。特許庁によれば、明治36年(1903)には、よこ糸を自動的に補充する自動杼換装置を完成させ、これが自動織機の最初の発明となった。佐吉が得た特許権は84件、実用新案権は35件にのぼり、昭和5年(1930)に亡くなった。
特許庁によれば、大正13年(1924)に佐吉は無停止杼換式豊田自動織機(G型)を完成させた。特許庁はこれを世界最初の発明としている。布を織る速さを少しも落とさずに、よこ糸を自動で補充できる織機だった。
トヨタの社史は、会社の側からの詳しい経過を記している。G型自動織機の1号機は1925年11月に完成し、1926年11月18日には、自動織機を製造する会社として株式会社豊田自動織機製作所が刈谷に設立された。
解釈が分かれる
G型自動織機の誕生は、資料によって力点の置き方が異なる。特許庁は佐吉の発明として紹介している。一方トヨタの社史は、佐吉の指示と指導のもとで、長男・喜一郎と部下たちが新しい自動織機を開発し、新しい発明の特許が喜一郎の名で出願されたと書き、のちに海外へ譲った特許を「喜一郎が発明した杼換式自動織機に関する特許」としている。
特許庁によれば、この権利は世界の紡織機業界のトップメーカーだった英国のプラット社に、当時の金額で100万円で譲渡された。トヨタの社史によれば、契約は1929年12月21日に英国で結ばれ、総額10万ポンドを4回に分けて払う内容だったが、最終的に1934年に総額8万3,500ポンドで決済された。
織機から自動車へ
特許庁は、織機と自動車を直接結び付けている。この発明によって日本の紡織機工業と繊維産業は世界的な水準へと躍進し、その資金をもとに日本の自動車産業発展のスタートが切られた、という。
トヨタの社史によれば、喜一郎はプラット社との契約のための渡航で、フォード社の工場をはじめとする自動車工業や工作機械の調査に没頭し、日本に自動車産業が必要だと改めて感じた。そして1933年9月1日、豊田自動織機製作所の中に自動車製作部門を設けた。
自動車部門には工場の用地が必要だった。豊田市によれば、明治から大正にかけて挙母町は養蚕・製糸業を中心に栄えたが、昭和に入ると生糸の需要は急速に落ち込んだ。刈谷の豊田自動織機製作所が自動車製造部の工場用地を探していると知った町長の中村寿一は、町議会に協力を求め、いち早く工場の誘致に乗り出した。
社史によれば、トヨタ自動車工業株式会社は1937年8月28日に設立された。市によれば、1938年に挙母工場が論地ヶ原(今のトヨタ町)の丘に完成し、トラック、バス、乗用車の生産が始まった。市はこれを「クルマのまち・豊田」の第一歩としている。
会社は1938年11月3日に挙母工場の竣工式を行い、この日を創立記念日と定めた。挙母は1951年に市となった。1959年1月、市によれば「市を二分するほどの議論」の末に市名を変え、企業都市として発展することを誓って「豊田市」となった。
毛織物、そして今の産業
繊維の産業も続いている。県によれば、尾州では古くから麻・絹・綿の織物の産地が形づくられ、明治以降、日本人の洋装化とともに毛織物の製造に乗り出した。県は今の尾州を、日本最大で世界有数の毛織物の産地としている。
豊田市によれば、2026年2月現在、国内に11か所あるトヨタ自動車の生産拠点はすべて愛知県内にあり、そのうち6か所が豊田市、3か所が隣のみよし市にある。挙母工場(今の本社工場)もその一つである。
トヨタ産業技術記念館を訪ねる
名古屋市のトヨタ産業技術記念館は、トヨタグループが運営する博物館である。トヨタグループ発祥の地で大正時代の工場を産業遺産として保存しながら、繊維機械と自動車の技術の移り変わりを、実際に動く機械の展示や実演で紹介している。一般公開は1994年6月11日に始まった。
記念館によれば、旧豊田自働織布工場の建物や、G型自動織機などの所蔵品は、2007年に経済産業省が認定した「近代化産業遺産」に含まれている。
開館日や展示は変わることがあるため、訪れる前に公式サイトで確かめてほしい。
出典
- あいちの魅力(産業構造・事業環境)Aichi Prefecture (愛知県)
- 三河織物(あいちの地場産業)Aichi Prefecture
- 知多織物(あいちの地場産業)Aichi Prefecture
- 尾州毛織物(あいちの地場産業)Aichi Prefecture
- 十大発明家(豊田佐吉 特許第1195号 木製人力織機)Japan Patent Office (特許庁)
- 豊田佐吉の代表的発明品(木製人力織機、自動織機)Japan Patent Office (特許庁)
- トヨタ自動車75年史 第1部第1章第1節 第1項 豊田佐吉Toyota Motor Corporation
- トヨタ自動車75年史 第1部第1章第3節 第2項 自動織機の試作Toyota Motor Corporation
- トヨタ自動車75年史 第1部第1章第3節第3項・第4節第1項(G型自動織機の製造、豊田自動織機製作所の設立)Toyota Motor Corporation
- トヨタ自動車75年史 第1部第1章第4節 第2項 プラット社との特許権譲渡契約Toyota Motor Corporation
- トヨタ自動車75年史 第1部第2章第1節 第1項Toyota Motor Corporation
- トヨタ自動車工業株式会社の設立と挙母工場の建設Toyota Motor Corporation
- 明治~市制施行(とよたの起源)Toyota City (豊田市)
- とよたの記録Toyota City (豊田市)
- クルマのまちToyota City (豊田市)
- トヨタ産業技術記念館 概要Toyota Commemorative Museum of Industry and Technology (トヨタ産業技術記念館; run by the Toyota Group)
- トヨタ産業技術記念館 トップページToyota Commemorative Museum of Industry and Technology (トヨタ産業技術記念館; run by the Toyota Group)
- トヨタ産業技術記念館 近代化産業遺産Toyota Commemorative Museum of Industry and Technology (トヨタ産業技術記念館; run by the Toyota Group)
- トヨタ自動車75年史 第1部第1章第3節 第3項 豊田紡織修繕工場での「G型自動織機」製造Toyota Motor Corporation
