Japan Through Time

京都府 · 1008–1010年 · 平安時代

Murasaki Shikibu and the Literature of the Heian Court

紫式部と平安宮廷の文学

11世紀の初め、京都の宮廷に仕えた一人の女性が『源氏物語』を書いた。紫式部について分かること、日記に記されたこと、そして物語がどのように受け継がれてきたかをたどる。

約6分 · 出典 6件

開いた木版の本。左のページには流れるような日本語の文章、右のページには、高い黒い冠をかぶった貴族が縁側にいて、右側に髪の長い女性が立ち、上に雲がたなびく白黒の絵が描かれている
後世の作品山本春正の挿絵による木版の『絵入源氏物語』(1650年ごろ)の見開き。紫式部の時代から600年以上後に作られた。Yamamoto Shunshō, ca. 1650 · The Metropolitan Museum of Art · Creative Commons Zero 1.0 Universal (The Met Open Access) · 出典 · 縮小して掲載

11世紀の初め、京都の宮廷に仕えていた一人の女性が『源氏物語』を書いた。京都国立博物館は、この作品を日本で最も尊ばれてきた古典文学として紹介している。

私たちはその作者を紫式部と呼んでいる。彼女は宮廷での日々を記した日記も残しており、物語が書かれ、読まれた世界をそこからうかがうことができる。

この記事では、紫式部について分かること、日記に記されたこと、そして物語がその後千年にわたって書き写され、絵に描かれ、翻訳されてきた歩みをたどる。あわせて、後の時代に描かれた紫式部の姿が肖像ではない理由も説明する。

分からないことの多い生涯

解釈が分かれる

紫式部の生涯には分からないことが多い。五島美術館、藤田美術館、京都国立博物館はいずれも、生まれた年と亡くなった年を不明としている。関西学院大学文学部教授の高木和子は生まれを天延元年(973)ごろとし、藤田美術館の学芸員は900年代の終わりごろの誕生と思われるとだけ述べている。

解釈が分かれる

名前も、今でいう本名ではない。藤田美術館によれば、「式部」は宮廷での呼び名で、父の官職からとられたものである。藤原氏の出身であることから「藤式部」とも呼ばれたらしい。「紫」の由来ははっきりせず、『源氏物語』の女主人公の紫の上に由来するともいわれるが、ほかにもいくつかの説がある。本名は分かっていない。

関西学院大学図書館が刊行した高木の概説によれば、紫式部は中流貴族の藤原為時の娘として生まれた。長保元年(999)ごろ、20歳ほど年上の藤原宣孝と結婚し、のちに大弐三位と呼ばれる娘をもうけた。しかし夫とは、2年あまりの結婚生活ののちに死別した。

日記には、少女時代のよく知られた思い出が書かれている。兄弟が漢文の書物を学んでいるのをそばで聞いていた紫式部は、本人よりもずっと早く理解してしまった。父の為時は、この子が男でなかったことを嘆いたという。

中宮彰子に仕える

紫式部は、権力者の藤原道長の娘で、一条天皇の中宮であった彰子に仕えた。高木と藤田美術館は、いずれもその始まりを寛弘2年(1005)ごろとしている。高木は、紫式部の物語の評判を耳にした道長が彼女を招いたと述べるが、これは記録ではなく「想定されている」こととして書いている。

道長は娘の彰子のもとに、紫式部のほか和泉式部や赤染衛門など、才能ある女房を多く集めた。一条天皇にはもう一人の后として定子がおり、『枕草子』を書いた清少納言は定子に仕えた。

紫式部は彰子に、『白氏文集』などの漢文の書物を教えてもいた。高木によれば、『源氏物語』を愛読した一条天皇は、この作者は日本の歴史書まで読んでいるに違いないとほめた。そのため紫式部は「日本紀の御局」とあだ名されたが、本人はこの評価を気恥ずかしく感じていたようである。

宮廷の文字には二つの使い分けがあった。藤田美術館の学芸員によれば、正式な文書や公の記録は漢文で書かれた。物語や和歌、手紙には「女手」と呼ばれた仮名が使われたが、仮名は私的な文字で、正式な文書には使われなかった。

日記に記された1008年から1010年

『紫式部日記』は、寛弘5年(1008)7月から寛弘7年(1010)正月までの約1年半を記している。五島美術館によれば、その中心は彰子の2度の皇子出産と、その祝賀の華やかな様子である。当時の権力者道長をめぐる貴族たちの姿も生き生きと描かれている。

藤田美術館は、宮中の仕事のあれこれに回想や随想が加わった、日記とエッセイが混じったような形式だと説明する。紫式部が書いた原本は残っておらず、後の時代の写本が伝わっている。

この日記は、『源氏物語』が存在したことを示す、文献上もっとも古い記録でもある。寛弘5年11月1日(1008年、旧暦)、生まれた皇子の敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生50日目の祝いが開かれた。

その宴の席で、公卿の藤原公任が「このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」と紫式部に声をかけたという。物語の登場人物を思わせる呼び名であり、高木は、この時点で『源氏物語』の一部がすでに読まれていたことが分かるとしている。

日記には、彰子の周りで物語を書き写したり綴じたりする様子も書かれている。手直しを重ねた原稿を道長に持って行かれてしまい、本人が納得していない草稿のほうが世に出回ってしまったという話も記されている。

物語とその長い歩み

『源氏物語』は全54巻(帖)で、一般に三部に分けて読まれる。第一部と第二部は「光る君」光源氏の生涯を、第三部は源氏の死後、次の世代の物語を描く。最後の10巻は主に宇治を舞台とするため「宇治十帖」と呼ばれる。

作中には795首の和歌が含まれる。物語の世界の中にいる女房が語り手となって語る形で書かれ、舞台は成立より数十年前の時代に設定されているともいわれる。高木は、歴史的な事実を踏まえてはいても、『源氏物語』はあくまで独自のフィクションの世界だったと強調している。

解釈が分かれる

いつ、どのように書かれたのかは確かではない。高木は、1000年ごろから数年以上かけて少しずつ書かれたと推定し、どの巻が最初に書かれたかについては結論が出ていないとする。また、一部は別人の作だという説があることにも触れている。

紫式部の自筆の原本は残っておらず、平安時代の写本さえ見つかっていない。そのため高木は、紫式部が書いたもとの形を復元することは、まず不可能に近いとしている。

伝わっているのは後の時代の写本である。京都国立博物館が見どころとして挙げるものの一つに、藤原定家(1162〜1241)が校訂した写本「青表紙本」がある。

物語は成立した当初から人気を集めた。『更級日記』の作者が愛読したことはその一例である。国立国会図書館によれば、現存する最古の『源氏物語絵巻』は12世紀前半に作られた。

江戸時代には印刷の広まりによって、あらすじをまとめた本や俗語訳で庶民も気軽に読めるようになり、浮世絵にも多くの源氏絵が描かれた。近代以降は与謝野晶子や谷崎潤一郎らが現代語訳を手がけた。英語にはアーサー・ウェイリー、E・G・サイデンステッカー、ロイヤル・タイラーらが訳し、そのほか多くの言語に翻訳されている。

後の時代に描かれた姿

紫式部の世界を絵で知る人は多いが、彼女の姿を描いた絵は、いずれも後の時代に作られたものである。国宝の「紫式部日記絵巻」は鎌倉時代に作られた。

五島美術館は日記から約250年後とし、藤田美術館の学芸員は13世紀前半、約200年後と述べている。もとは全10巻ほどの巻物だったと推定され、現在はその約4分の1が、いくつかの所蔵先に分かれて伝わる。

紫式部と同じ時代の宮廷の絵も、本人に似せて描くものではなかった。藤田美術館の学芸員によれば、平安時代末の「源氏物語絵巻」などでは、貴族の顔は細い線の目とかぎ状の鼻で描く「引目鉤鼻」で表され、個人の特徴はとらえられていない。写実的な顔の表現が現れるのは平安時代の終わりごろからである。

藤田美術館の日記絵巻では、紫式部は眠る彰子の前に座る後ろ姿で描かれている。五島美術館の場面では、右下の女房が紫式部かもしれないとされるにとどまる。

訪れられる場所

宇治市が運営する宇治市源氏物語ミュージアムでは、『源氏物語』と、そこに描かれた平安貴族の暮らしや文化を紹介している。「宇治の間」では宇治十帖のあらすじを音声と照明の演出で紹介し、宇治十帖や『源氏物語』の誕生を取り上げた短編映画も上映している。開館日や開館時間は、ミュージアムの公式サイトで確認してほしい。

「紫式部日記絵巻」は、東京の五島美術館、大阪の藤田美術館、東京国立博物館、個人のコレクションに分かれて所蔵されている。五島美術館は、所蔵する部分を毎年秋に1週間ほど展示する予定としている。展示の予定は各館の公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 国宝 紫式部日記絵巻The Gotoh Museum
  2. 華やかな平安宮中の世界Fujita Museum
  3. 源氏物語概説/男読み源氏物語―光源氏の生涯を読む―(時計台 No.79)Kwansei Gakuin University Library
  4. The Tale of Genji: Radiant Culture of the Japanese Imperial CourtKyoto National Museum
  5. 源氏物語と源氏絵National Diet Library
  6. 源氏物語ミュージアム The Tale Of Genji Museum, UJIUji City (宇治市源氏物語ミュージアム)