Japan Through Time

三重県 · 1893年 · 近代 · 明治時代 · 現代

Mikimoto Kōkichi and the Birth of Cultured Pearls

御木本幸吉と真珠の養殖

1893年、御木本幸吉は鳥羽湾の小さな島で、手を加えた貝の中に半円の真珠を見つけた。三重県はこれを世界で初めての真珠養殖としており、それは世界に知られる産業へと育った。

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白黒写真。紋の入った黒っぽい和服姿の、頭を丸めた年配の男性が、無地の背景の前に立ち、右手に節のある長い杖を持っている
晩年の御木本幸吉。National Diet Library, Portraits of Modern Japanese Historical Figures · Public domain (out of copyright; free reuse under NDL terms) · 出典 · 縮小して掲載

1893年、鳥羽湾に浮かぶ小さな島で、御木本幸吉は自ら手を加えた貝の中に育った半円の真珠を見つけた。鳥羽市はこれを「養殖真珠第1号」と記録している。三重県はこの取り組みを世界で初めての真珠養殖とし、それは世界に知られる産業へと育っていった。

この記事では、鳥羽のうどん屋に生まれた御木本が「真珠王」と呼ばれるまでの道のりと、養殖真珠を支えた人・場所・特許をたどる。

鳥羽のうどん屋の長男

御木本幸吉は1858年、志摩国の鳥羽(今の三重県鳥羽市)に生まれた。鳥羽市によれば、代々続くうどん屋「阿波幸」の長男だった。国立国会図書館によれば、家業を手伝いながら海産物商も営んでいた。

特許庁は、御木本と真珠とのかかわりの始まりを1878年としている。この年、一つの事業を興そうと志して上京した御木本は、横浜で真珠が売り買いされるのを見た。

この海辺では、真珠は昔から身近なものだった。伊勢志摩国立公園地域協議会によれば、海産物をとるために潜る海女が、まれに貝の中から真珠を見つけていた。

しかし天然の真珠は貴重だった。株式会社ミキモトは、天然の真珠は1,000個の貝の中に1個あるかないかだったとしている。

教授のひとこと

鳥羽市によれば、1888年、御木本を代表とする志摩国海産物改良組合が東京の第2回全国水産品評会に真珠などを出品し、2等賞を受けた。特許庁によれば、同じ年に御木本は英虞湾で真珠貝の養殖を始めている。

1890年、御木本は東京・上野の第3回内国勧業博覧会に、真珠やアコヤガイ、真珠を使った品などを出品した。特許庁によれば、出品物の審査官だった東京帝国大学教授の箕作佳吉から、真珠は人工的に養殖できるかもしれないと言われた。このことが、その後の進路を決定づけたという。

解釈が分かれる

その次の一歩については、資料によって場所の書き方が異なる。三重県と国立国会図書館は、1890年にアコヤガイの養殖に着手し、英虞湾で養殖真珠の実験を始めたとする。鳥羽市は、1890年9月に鳥羽湾の相島で半円真珠養殖の実験を始めたとしている。特許庁は、英虞湾での真珠貝の養殖の始まりを1888年とし、真珠養殖の研究に取りかかったのは1890年としている。

取り組みは順調ではなかった。伊勢志摩国立公園地域協議会によれば、1892年には赤潮(プランクトンの大量発生)で貝の大半が死んだ。

最初の半円真珠

鳥羽市によれば、1893年7月11日、御木本は相島で実験中の、手を加えた貝の中から半円真珠を見つけた。市はこれを養殖真珠第1号としている。三重県と国立国会図書館は、これが箕作佳吉らの指導のもとでの成功だったと記している。

特許庁は、4年間の研究の末の成果をこう説明する。養殖したアコヤガイの貝殻の内側に、こぶのような半円形の真珠ができたのである。

これを世界初とする見方は、いくつもの発信元にみられる。三重県は、1893年に御木本が鳥羽で世界初の真珠養殖を始めたとし、伊勢志摩国立公園地域協議会は世界で初めて成功した真珠養殖の事業と呼ぶ。株式会社ミキモトも、御木本が世界で初めて半円真珠の養殖に成功したとしている。

御木本は1894年に特許を出願した。鳥羽市によれば、1896年1月27日に特許第2670号が認められた。特許庁は、この半円形の養殖真珠は、ふつうにいう真珠とはやや趣が異なるものの、装身具として世の中に広く受け入れられたと記している。

丸い真珠と、だれの功績か

解釈が分かれる

御木本はその後も、丸い真珠を養殖でつくる研究を続けた。丸い真珠がどのように実現し、だれの功績とされるかは、資料によって書き方が異なる。

解釈が分かれる

三重県と国立国会図書館は、真円真珠の養殖法は御木本の娘婿の西川藤吉らによって発明され、1908年にその特許が取得されたとしている。鳥羽市は、1908年2月13日に御木本が真円真珠の特許(第13673号)を取得したと記録する。特許庁は、御木本が円形真珠の研究を続けて1908年に特許を得たこと、この発明をきっかけに日本の真珠養殖業が一つの産業として成長したことを記している。

鳥羽市は、その後の歩みも記録している。1918年、御木本は五ヶ所湾の養殖場で「全巻式」という方法により真円真珠を採り、よい成績を得た。1919年にその特許を取得し、この年、養殖の真円真珠を初めてロンドン支店で売り出した。

東京の店から海外へ

1899年、御木本は東京・京橋に真珠店を開いた。鳥羽市によれば、場所は今の銀座並木通りにあたる。1900年には、パリ万国博覧会に初めて半円真珠を出品した。

1913年には、ロンドンのニューボンドストリートに卸売の支店が開かれた。国立国会図書館によれば、御木本はロンドンやニューヨークなど海外にも直販店を広げ、世界各地の博覧会にミキモトパールを出品した。

海外で認められるまでには曲折もあった。三重県によれば、1921年、日本の真珠商人が扱う養殖真珠は天然真珠の模造品だと訴える記事がロンドンの新聞に載った。パリでは民事裁判にもなったが、県の記述によれば勝訴に終わった。

三重県は、この裁判を機に養殖真珠が世界に広く認められるようになり、御木本は「真珠王」と称されるようになったとしている。株式会社ミキモトも、この裁判を「パリ真珠裁判」と呼び、自社が勝訴したとしている。

国立国会図書館によれば、御木本は1938年に貴族院議員となった。

海女といかだ、そして真珠の島

養殖真珠は、海と、海で働く人びとに支えられていた。伊勢志摩国立公園地域協議会によれば、かつては貝を海底に戻す作業を海女が担っていた。今は貝をかごに入れていかだからつるし、真珠ができるまでには約2年かかる。

リアス海岸の入り江は風や波から守られ、いかだを浮かべられるほど海が穏やかである。ミキモト真珠島は、かつて海女は真珠の養殖になくてはならない存在だったとしている。

1946年11月20日、伊勢志摩国立公園が指定された。鳥羽市によれば、1951年には相島が「御木本真珠ヶ島」として一般に公開され、養殖真珠ができる過程や海女の作業、真珠がネックレスになるまでを見られるようになった。

御木本は1954年9月21日、96歳で亡くなった。1985年、日本の工業所有権制度の100周年にあたり、記念行事委員会は御木本を、養殖真珠の発明者として「十大発明家」の一人に選んだ(特許庁による)。

訪れられる場所

ミキモト真珠島は、鳥羽の港のすぐ沖、かつて相島と呼ばれた島にある。島は自らを「養殖真珠発祥の地」としている。島が国内初の真珠専門の博物館とする真珠博物館では、真珠ができる仕組みや養殖の方法、日本の養殖真珠の歩みを紹介している。

島の御木本幸吉記念館は、写真や実物、説明パネルで御木本の生涯を伝え、生家のうどん屋「阿波幸」の復元もある。島では海女の実演も行われており、昔ながらの白い磯着の海女が見られるのは今ではここだけだと島はしている。

伊勢志摩国立公園地域協議会によれば、鳥羽湾などに浮かぶ真珠のいかだは伊勢志摩ならではの景色である。営業時間や実演の時間は、訪れる前に公式サイトで確認してほしい。

屋根越しに、穏やかな青い湾に浮かぶ木々に覆われた小さな島を望む。島は屋根付きの橋で岸とつながり、水辺に建物があり、奥に緑の山々と晴れた空が見える
鳥羽城跡から見た鳥羽湾のミキモト真珠島(かつての相島)。2021年8月撮影。Ganokure, 2021-08-08 · Wikimedia Commons · Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International · 出典 · 縮小して掲載

出典

  1. 鳥羽の観光史略年表(鳥羽市観光基本計画 資料編別冊)Toba City (鳥羽市)
  2. 偉人|みえ150年の歩みMie Prefecture
  3. 産業|みえ150年の歩みMie Prefecture
  4. 御木本幸吉|近代日本人の肖像National Diet Library
  5. 十大発明家(御木本幸吉 特許第2670号 養殖真珠)Japan Patent Office (特許庁)
  6. 伊勢志摩国立公園:伊勢志摩の真珠養殖Ise-Shima National Park regional council (伊勢志摩国立公園地域協議会; text in the Japan Tourism Agency multilingual commentary database)
  7. 鳥羽港鳥羽の真珠(海女とのつながり)Ise-Shima National Park regional council (伊勢志摩国立公園地域協議会; text in the Japan Tourism Agency multilingual commentary database)
  8. ブランドストーリーMIKIMOTO (株式会社ミキモト)
  9. ミキモト真珠島(トップ・博物館・記念館・海女時間)Mikimoto Pearl Island (株式会社御木本真珠島)