都のあった京都から遠く離れた紀伊半島の南部に、本宮・新宮・那智の三つの大きな社があり、あわせて熊野三山と呼ばれる。上皇や貴族だけでなく、庶民や病気の人びとも、何百年にもわたって山道を歩いてここを目指した。
その道と社は今、三重・奈良・和歌山の3県にまたがる世界遺産の一部になっている。この記事では、平安時代に盛んになった熊野詣から、2004年の世界遺産登録までをたどる。
山と海の三つの社
熊野三山とは、かつて熊野坐神社と呼ばれた熊野本宮大社、新宮の熊野速玉大社、そして熊野那智大社の三社である。文化庁によれば、熊野三山は京都からも日本の各地からも遠い紀伊半島の南東部にあるため、参詣者の出発地に応じて複数の道が開かれた。
本宮が記録に初めて現れるのは859年である。10世紀後半には速玉大社と那智大社の主祭神をあわせて祀り、「熊野三所権現」とするようになった。11世紀にはさらに眷属神が加わり、「熊野十二権現」という祀り方ができあがった。
それぞれの社には、独自の聖なる景観がある。文化庁の説明では、新宮の速玉大社の背後には断崖の多い山があり、その中腹に、神が降り立ったとされる神倉神社がある。そこにある巨岩「ゴトビキ岩」は、神体として信仰されている。
那智では、信仰は滝から始まった。文化庁によれば、熊野那智大社は、高さ133m・幅13mの那智大滝に対する原始の自然崇拝を起源とする神社である。滝は、那智大社と隣の青岸渡寺の信仰の原点であり、それ自体が信仰の対象でもある。
上皇たちの熊野詣
文化庁によれば、熊野三山への参詣は10世紀前半に始まり、15世紀ごろまで盛んに行われた。大勢の参詣者が列をなして進んだため、「蟻の熊野詣」と形容された。
もっともよく知られた参詣者は、上皇たちである。上皇が政治を行った院政期について、文化庁は後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回、白河上皇9回の参詣を数えている。女院も参詣し、待賢門院は13回に及んだ。
和歌山県は、この4人の上皇が約150年の間に、あわせて90回以上熊野へ御幸したとまとめている。こうした参詣につれて、参詣道の整備も進んだ。
参詣の様子は、藤原宗忠の『中右記』や、藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』など、多くの貴族の日記に詳しく書き残されている。文化庁によれば、これらの記録から、身分の高い人だけでなく、庶民や病気の人も多く参詣したことが分かる。
山を越える道
中世にもっともよく使われたのは中辺路である。京都から南へ下ってきた参詣道は、田辺で海沿いを行く大辺路と分かれ、中辺路は山あいを縫うように東へ進んで本宮を目指した。
本宮に参った後は、熊野川を舟で下って新宮に参り、さらに海岸沿いに浜の宮へ出て、再び内陸に入って那智に参った。帰りは、熊野川をさかのぼって来た道を戻るか、大雲取越・小雲取越の山道を越えて本宮へ戻ることもあった。本宮からは湯峰へ道が通じていて、参詣者は湯峰の湯に入って疲れを癒やした。
中辺路の沿道には、熊野の神の御子神を祀る「王子」やその跡が点在する。文化庁は、これを中辺路の最大の特徴としている。11〜13世紀に上皇や貴族が参詣した際には、王子で修験者の指示に従って奉幣や読経が行われ、舞や相撲、和歌の会なども開かれた。
文化庁は、紀伊山地の参詣道を、人びとが神仏の宿る清らかな場所に近づくための修行の場と説明している。神と仏は深く結び付いていた。1868年の神仏分離令までは、青岸渡寺は熊野那智大社と一体の寺院として発展してきた。
熊野詣から西国巡礼へ
15世紀ごろを過ぎると、熊野三山だけを目指す熊野詣は衰えた。それでも道が寂れたわけではない。
民衆の社寺参詣が盛んになる17世紀以後は、33か所の観音霊場をめぐる西国巡礼の人びとが熊野を訪れた。文化庁によれば、その数は多い年で年間3万人ともいう。
巡礼者は伊勢神宮に参った後、伊勢路を通って西国巡礼の最初の札所である那智山の青岸渡寺へ向かい、その途中で速玉大社にも参った。青岸渡寺からは中辺路を通って次の札所へ向かい、途中で本宮大社にも参った。
伊勢路は、伊勢神宮と熊野三山を約160kmで結ぶ道である。参詣者の日記から、10世紀後半には参詣道として使われていたと考えられるが、文化庁によれば、通る人が増えたのは17世紀以後のことである。石畳道などの峠道が延べ約34km、良好な状態で残っている。
絵も信仰を広めた。文化庁によれば、14世紀の「熊野曼荼羅」や、那智の信仰を人びとに絵解きするために作られた16世紀の「那智参詣曼荼羅」には、那智大滝が必ず描かれている。
世界遺産へ
熊野参詣道は2000年に国の史跡に指定された。文化庁は、古代の終わりから近世・近代に至るまで、身分の高い人だけでなく庶民や病に苦しむ人びとまでが、熊野三山への信仰とあこがれから歩いた古道だと説明している。
2004年(平成16年)7月7日、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。三重・奈良・和歌山の3県にまたがり、熊野三山、吉野・大峯、高野山の三つの霊場と、それらを結ぶ参詣道からなる。和歌山県によれば、参詣道が良好な形で残っていることや、信仰や暮らしと深く結び付いた森林の文化的景観が、とくに高く評価された。
三重県は、信仰の道が世界遺産になっている例は多くないとし、ほかの例として、スペインとフランスにまたがる「サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路」を挙げている。三重県内で登録されているのは伊勢路である。
2016年(平成28年)10月24日には、世界遺産委員会で、中辺路・大辺路の一部や高野山への道など22か所の追加登録が認められた。これにより、登録された道の長さは307.6kmから347.7kmになった。
訪れられる場所
熊野本宮大社は、もとの場所には建っていない。1889年の熊野川の水害の後、流されずに残った主要な社殿3棟が、1891年に今の場所へ移されて再建された。旧社地の大斎原は、今の社地の東南約0.5kmの熊野川の中州にあり、19世紀の切石積みの基壇が残っている。
新宮の熊野速玉大社の今の社殿は1951年の再建だが、川岸の社地は、遅くとも12世紀から同じ位置にある。背後の山には、神倉神社とその巨岩がある。
那智では、標高約500mの地点に熊野那智大社があり、その隣に青岸渡寺がある。青岸渡寺の本堂は1590年に再建されたもので、那智大滝を拝む向きに建てられている。
世界遺産に含まれる中辺路は、文化庁が広い意味での熊野の神域の入口とする滝尻王子跡から、約40km東の本宮へ続いている。交通や拝観の情報は、出かける前に各社寺や和歌山県の公式サイトで確認してほしい。
出典
- 熊野参詣道Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 知事からのメッセージ 令和6年3月1日Wakayama Prefecture
- 世界遺産熊野参詣道Mie Prefecture
- 熊野参詣道伊勢路Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 熊野本宮大社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 熊野速玉大社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 熊野那智大社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 青岸渡寺(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 那智大滝(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 熊野参詣道中辺路(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産解説)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の追加登録Wakayama Prefectural Board of Education (Cultural Heritage Division)
