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Kumamoto Castle: Building, War and Earthquake

熊本城―築城・西南戦争・地震

1607年に加藤清正が完成させた熊本城は、1877年の西南戦争で籠城戦に耐えたが天守を火災で失い、1960年に再建され、2016年の地震からの復旧が今も続いている。

約6分 · 出典 14件

熊本城は、1607年に加藤清正が茶臼山と呼ばれた台地に完成させた城である。それから約400年のあいだに、内戦で籠城戦の舞台となり、火災で天守を失い、再建され、2016年の地震で大きな被害を受けた。熊本市は、2052年度まで復旧を続ける計画である。

この記事では、築城、1877年の西南戦争、2016年の熊本地震という三つの場面から熊本城をたどる。

加藤清正の新しい城

茶臼山の台地とそのふもとには、清正より前から城があった。熊本市によれば、応仁年間(1467年)には台地の東端に、1496年には南西のふもとに城が築かれている。

清正は尾張(今の愛知県西部)の出身である。熊本城の公式サイトによれば、清正は1588年、27歳で肥後北半国19万5千石の領主として肥後に入り、古い隈本城に入った。

解釈が分かれる

新しい城の工事がいつ始まったかは、はっきりしない。公式サイトは1599年に着手した可能性があるとし、熊本市の資料は1601年としている。

公式サイトによれば、関ヶ原の戦いがあった1600年ごろに大天守が完成した。1607年に新しい城が完成し、「隈本」は「熊本」と書き改められた。

築城当時の熊本城は、周囲約5.3キロメートル、面積約98ヘクタールで、大小の天守のほか、櫓49、櫓門18、城門29があった。

「武者返し」と呼ばれる石垣は、下はゆるやかで、上に行くほど反り返りが急になる。公式サイトは、そのため登ることができないと説明している。

公式サイトはまた、清正が治山治水の工事や水田の開発に力を入れたこと、今も熊本の人々から「清正公(せいしょこ)さん」と親しみを込めて呼ばれていることを紹介している。

細川家の時代

加藤家は2代で改易となり、1632年、豊前小倉城の城主だった細川忠利が肥後に入った。熊本市の資料は、その領地を54万石としている。

1640年、忠利は剣豪の宮本武蔵を熊本に招き、屋敷を与えた。1755年には、二の丸に藩校の時習館が開かれた。

1877年の西南戦争

1871年の廃藩置県の後、1874年に城内は陸軍の用地となり、本丸に熊本鎮台の本営が移った。1876年には、明治政府に対する神風連の変が起きた。

1877年2月、西郷隆盛が率いる薩摩軍と政府軍のあいだで西南戦争が始まった。熊本市田原坂西南戦争資料館によれば、熊本鎮台は2月14日に籠城を決めた。鎮台は木造の櫓を取り払って砲台や胸壁を築き、壕を掘り、地雷を埋めるなど、城を近代の戦いに合うように改めた。

2月19日、天守と本丸御殿が炎に包まれた。

解釈が分かれる

火災の原因については、解釈が分かれる。公式サイトは、放火や鎮台による自焼などいくつかの説があり、原因はいまだに特定できていないとしている。資料館は、今も定説はないとしたうえで、西南戦争140年を記念したシンポジウムでは、鎮台が自ら火を放ち、それを隠した可能性が高いとされたと紹介している。

公式サイトによれば、城内には熊本鎮台司令長官の谷干城が率いる鎮台兵3,500人がこもり、薩摩軍1万3,000人と50日あまりにわたって戦った。資料館は、籠城戦を52日間としている。

2月22日と23日、薩摩軍は四方から総攻撃をかけたが、城を落とすことはできなかった。資料館は、3月の田原坂の戦いも、包囲された熊本城を救うために南下する政府軍の旅団と、それを阻もうとする薩摩軍との攻防だったと説明している。

熊本市の資料によれば、田原坂の戦いでは、約7か月に及んだ西南戦争全体の4分の1にあたる戦死者が出た。4月14日、薩摩軍は包囲を解き、政府軍の救援の旅団が城に入った。

戦いは熊本・大分・宮崎・鹿児島の4県に広がった。資料館によれば、薩摩軍は推定約5万人、政府軍は約6万人が動員され、両軍あわせて約1万4,000人が命を落としたといわれる。

天守の再建

1889年には、地震で城が被災した。1933年には、宇土櫓など13棟が国宝に、石垣と堀が史跡に指定された。

1950年には国宝の建造物が重要文化財と呼ばれるようになり、1955年に城跡は特別史跡に指定された。現在、宇土櫓など13棟が国の重要文化財である。

1960年、大小の天守が、市民からの寄附も受けて鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された。公式サイトによれば、その外観は、明治時代初めに撮られた写真などをもとに、瓦の枚数まで忠実に復元された。

1998年には復元整備の事業が始まった。築城400年を記念して、江戸時代の絵図や文献、明治初めの写真、発掘調査の成果をもとに本丸御殿大広間が復元され、2008年に完成した。

2016年の熊本地震

2016年4月14日21時26分、熊本地方でマグニチュード6.5の地震が起きた。4月16日1時25分には、マグニチュード7.3の地震が続いた。どちらも益城町で最大の震度7を観測した。

熊本県は、同じ地域で震度7の地震が28時間のあいだに2度起きたのは観測史上初めてだったとしている。県の令和7年4月11日時点の速報値では、死者は275人で、そのうち地震による直接の死者は50人、いわゆる災害関連死は225人である。

熊本城では、13棟の重要文化財建造物のうち2棟が倒壊し、3棟が一部倒壊した。20棟の再建・復元建造物のうち5棟が倒壊した。石垣は全体の約29.9%にあたる面積で被害を受けた。

復旧

熊本市は、天守閣を復興のシンボルとして最優先で復旧した。2021年1月には重要文化財建造物の復旧第1号として長塀が復旧し、同じ年の3月には天守閣が完全に復旧した。

2021年4月26日からは、天守閣で、築城から西南戦争での焼失、1960年の再建、2016年の地震での被災と復旧までをたどる新しい展示が公開されている。

築城当初から残る唯一の多重櫓である宇土櫓は、2022年から解体しての復旧が進められており、2032年に完成する予定である。熊本市の計画では、2042年度までにすべての重要文化財建造物と主要な区域の復旧を終え、ほかの工事を2052年度まで続ける。

訪れられる場所

熊本城*(熊本市)。2019年から特別公開が行われ、被害の状況や復旧工事の様子を見学できる。

2020年には特別見学通路が完成した。天守閣の各階では、加藤家と細川家の時代、西南戦争を含む近代、2016年の地震を紹介しており、最上階は展望フロアになっている。

2026年7月28日には、熊本で再び地震が起きた。公式サイトによれば、2026年9月18日の時点で熊本城は通常どおり営業しており、周辺の一部の施設は休館している。最新の公開状況や開園時間は公式サイトで確認してほしい。

熊本市田原坂西南戦争資料館*(熊本市)。2015年に田原坂に開館し、西南戦争と、戦跡を伝える国の史跡「西南戦争遺跡」を紹介している。

日本赤十字社の前身である博愛社に関する資料も展示している。開館時間は公式サイトで確認してほしい。

出典

  1. 熊本城の歴史Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  2. History of Kumamoto Castle (official English page)Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  3. 熊本城の概要(資料4)Kumamoto City
  4. 熊本城復旧基本計画 概要版(令和5年3月改定)Kumamoto City
  5. 復旧状況(熊本城公式サイト)Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  6. 特別公開の見どころ(熊本城公式サイト)Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  7. 観覧案内(熊本城公式サイト)Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  8. 令和8年熊本地震に伴う熊本城周辺施設の開園情報等について(9月18日時点)Kumamoto City (Kumamoto Castle official website)
  9. 史跡西南戦争遺跡 保存活用計画 第4章Kumamoto City
  10. 熊本市田原坂西南戦争資料館へ行こう!!Kumamoto City (Tabaruzaka Seinan War Museum)
  11. 企画展 熊本籠城戦(デジタル展示)Kumamoto City (Tabaruzaka Seinan War Museum)
  12. 平成28年(2016年)熊本地震Japan Meteorological Agency
  13. 熊本地震から10年Kumamoto Prefecture
  14. 西南戦争の戦死者、激戦の舞台で弔う 熊本市・田原坂公園Kumamoto Nichinichi Shimbun