山梨県は、自らを日本のワイン生産の発祥の地としている。県によれば、県内には約100社のワイナリーが集まり、国内の「日本ワイン」の約3割を生産している。
日本ワインとは、国内で収穫されたぶどうだけを使い、国内で造られたワインのことである。2019年8月7日には、山梨県知事が山梨「ワイン県」を宣言した。
そのワイン造りは明治時代の初めに始まった。甲府の民間人、県、そしてぶどうの産地・勝沼の青年たちが、それぞれ地元のぶどうをワインにしようと試みた。
この記事では、その始まりをたどる。最初のワインがいつ造られたかについては、出典によって年が異なる点にも触れる。
ワインより前のぶどう
山梨県の説明によれば、日本ワインの代表的な原料である甲州ブドウは、コーカサス地方やカスピ海沿岸が原産地とされ、シルクロードを経て中国から仏教とともに日本に伝わり、気候風土の合った勝沼に定着したと思われる。また県は、日本で最も古くから栽培されている品種「甲州」が、OIV(国際ブドウ・ワイン機構)に登録されていると紹介している。
解釈が分かれる
ぶどう栽培の始まりについては、もっと古い伝説がある。県の統計の広報誌は、勝沼町が出した『山梨のワイン発達史』をもとに二つの話を紹介している。ひとつは、718年、僧の行基の夢に、ぶどうを手にした薬師如来が現れ、それが大善寺の由来と甲州ぶどうの始まりになったという話。もうひとつは、1186年、勝沼の雨宮勘解由が山ぶどうの変わった株を見つけ、持ち帰って育てたという話である。広報誌はどちらも伝説として紹介している。
山梨県立考古博物館の研究紀要に載った論文によれば、江戸時代には甲府城でぶどうなどの果物が栽培されており、甲州から将軍家にぶどうが献上された記録も残っている。県の広報誌は、江戸時代にはぶどうが甲州街道の勝沼宿などで売られ、勝沼の名物になったとも伝えている。
ワインそのものが知られていなかったわけではない。同じ広報誌によれば、西洋のワインは戦国時代に「南蛮酒」として日本に入ってきたといわれるが、薬として使われたり、大名など一部の人の嗜好品だったりしたにすぎなかった。江戸時代中期には、ぶどうを酒や焼酎に漬けたぶどう酒が薬として売られていたという。
甲府の二人の醸造家
考古博物館の論文によれば、山梨で本格的なワイン造りを始めたのは、甲府の民間人、山田宥教と詫間憲久である。論文は、二人の試みが日本のワイン産業の起源とされていると書いている。二人は甲府に共同の醸造場を開き、事業は明治7年(1874年)ごろには軌道に乗って、京浜方面への大量出荷や陸海軍への納品も行うまでになった。
しかし経営は苦しかった。同じ論文によれば、資金不足と技術不足から、二人は明治9年(1876年)に県令に資金援助と技術指導を求める願いを出した。論文が引く1879年の県令から内務卿への申し立てには、二人がすでに廃業していたことが記されている。
解釈が分かれる
二人が最初にワインを造った年については、資料によって説明が分かれる。
解釈が分かれる
山梨県のワインのページは、県内での生産は1870年(明治3年)ごろに始まり、山田と詫間が山ブドウと甲州ブドウからワインを造ったとしている。考古博物館の論文は、1915年の書物に、明治3、4年ごろ山田が山ぶどうでワイン醸造を試みたことが記され、これが日本初のワイン醸造の記録とされていると紹介している。一方、県が2026年に出した統計の広報誌は、当時の甲府の新聞や古文書を使った近年の研究で、その年が明治7年(1874年)だったと分かったとしている。
甲府城の県立醸造所
県もすぐに動いた。考古博物館の論文によれば、県令の藤村紫朗はこの民間の事業への援助を引き受け、アメリカ帰りの政府の技術者、大藤松五郎を招いて技術指導にあたらせようとした。1877年(明治10年)、旧甲府城内に、前年に開かれた勧業試験場の付属施設として県の葡萄酒醸造所が設けられた。
論文が引く記録によれば、1877年には各種の酒が28,896瓶造られ、1880年6月には明治天皇が勧業試験場と醸造所を訪れた。しかし、論文が紹介する研究によれば、醸造は1883年の仕込みを最後に止まった。
醸造所は1884年に閉鎖され、同じ年に払い下げが申請された。こうして醸造所は10年に満たずにその役目を終えた。
フランスに送られた二人の青年
もうひとつの流れは勝沼から生まれた。1877年(明治10年)、祝村(いまの甲州市勝沼町)に「大日本山梨葡萄酒会社」が設立された。山梨県は、これを民間初のワイン会社としている。
会社は勝沼の青年、高野正誠と土屋龍憲の二人を、西洋のワイン醸造の技術を学ばせるためにフランスへ送った。県によれば、二人は帰国後、日本のワイン造りの発展に力を尽くした。県のワインのページは、二人がフランスで学んだ技術を地元に広めて以来、山梨のワイン産業は着実に発展したと書いている。
会社そのものは長く続かなかった。やまなし観光推進機構によれば、会社は1886年(明治19年)に解散した。
その後、宮崎光太郎が醸造器具などを一切引き継ぎ、土屋龍憲とともにワイン造りを始めた。宮崎が自宅に整えた醸造所と観光ぶどう園は、「宮光園」と呼ばれている。
明治から今へ
山梨県によれば、2013年7月、お酒の原産地を保護する国の地理的表示(GI)の制度で、「山梨」がワインの産地として初めて指定された。
2020年には、文化庁が日本ワインの140年の歩みを語るストーリーを日本遺産に認定した。やまなし観光推進機構によれば、勝沼のシャトー・メルシャン ワイン資料館とその収蔵品も、その構成文化財に含まれている。
勝沼を訪ねる
「甲州市近代産業遺産」の名で紹介されている勝沼の宮光園は、見学できる施設である。やまなし観光推進機構によれば(2024年10月時点の情報)、3つの展示室で、ワインのラベルや看板などのワインの歴史と、宮光園の歴史を紹介している。
同じ勝沼にあるシャトー・メルシャン ワイン資料館では、日本のワイン造りの歴史を知ることができる。観光推進機構によれば(2022年10月時点の情報)、2020年夏に一部を改修し、展示を日英の2か国語で表記しており、予約なしで見学できる。訪ねる前に、それぞれの公式サイトで開館時間や休館日を確かめてほしい。
出典
- 山梨ワインの歴史Yamanashi Prefecture
- 日本ワイン生誕の地(富士の国やまなしの魅力)Yamanashi Prefecture
- ワイン(美酒美県やまなし)Yamanashi Prefecture
- 甲府城内葡萄酒醸造所について―国産ワインの発祥地甲府―Yamanashi Prefectural Archaeological Museum / Yamanashi Prefectural Archaeological Center (研究紀要18)
- 甲州市近代産業遺産 宮光園(富士の国やまなし観光ネット)Yamanashi Tourism Organization (公益社団法人やまなし観光推進機構)
- シャトー・メルシャン 勝沼ワイナリー(富士の国やまなし観光ネット)Yamanashi Tourism Organization (公益社団法人やまなし観光推進機構)
