1995年(平成7年)1月17日の夜明け前、兵庫県南部と淡路島北部の街の真下で、強い地震が起きた。この地震で6,434人が亡くなり、3人が行方不明となった。内閣府は、この被害を戦後最悪の極めて深刻な被害としている。
この記事では、内閣府・兵庫県・神戸市の記録をもとに、揺れと火災、長い復興の道のり、そして震災が今どのように語り継がれているかをたどる。
1995年1月17日午前5時46分
地震が起きたのは午前5時46分。震源は淡路島北部の深さ16km、マグニチュードは7.3だった。当初は7.2とされ、2001年に気象庁が修正した。
神戸と洲本では震度6が観測された。その後の気象庁の現地調査で、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市の一部や淡路島の北東部では、震度7の揺れだったことが分かった。
内閣府の年表によれば、気象庁が震度7を初めて適用したのは1995年1月20日である。神戸市消防局は、この地震を大都市を襲った直下型地震で、観測史上最高の震度7を記録したと説明している。
これは内陸で起きた地震だった。淡路島北部では、野島断層に新たなずれが生じたことが確かめられた。気象庁はこの地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と名付け、政府は1995年2月14日、災害の名前を「阪神・淡路大震災」とすることを決めた。
失われた命
消防庁が2006年(平成18年)5月19日に確定した数字によれば、死者は6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人である。死者のうち6,402人が兵庫県で、そのうち4,564人が神戸市だった。
兵庫県は、2005年12月に発表した調査で、二重計上をなくすために県内で亡くなった一人ひとりの記録を調べ直した。この調査によれば、6,402人のうち、地震で直接亡くなった人は5,483人、震災関連死は919人である。県は、震災関連死を、震災によるストレスなど、震災と相当な因果関係があると認められた死と説明し、阪神・淡路大震災で初めて認められた考え方だとしている。
同じ調査によれば、直接の死者の72.57%にあたる3,979人の死因は、窒息・圧死だった。同じ調査では、亡くなった人の49.6%が65歳以上だった。
全壊した住家は約10万5千棟、半壊は約14万4千棟にのぼった。確定値では、全壊は104,906棟、186,175世帯である。
令和8年版の防災白書は、当時の耐震基準を満たしていない古い建物に被害が集中したと指摘している。これをきっかけに、建物の耐震診断や耐震改修のための法律や支援が整えられた。
交通やライフラインも広い範囲で止まった。山陽新幹線の高架橋などが倒れ、JR西日本など13社の鉄道が不通となった。最も多いときで、約260万戸が停電し、約86万戸で都市ガスが止まった。
神戸の火災
神戸では、地震の直後から火災が相次いだ。神戸市消防局の記録によれば、地震の直後に少なくとも市内50か所以上で同時に火が出て、その日のうちに109件の火災が起きた。118回線ある119番の受信回線は、地震とほぼ同時にすべてふさがった。
消火は困難を極めた。消火栓が使えなくなり、倒れた建物や陥没した道路が行く手をふさいだ。木造の家が密集する兵庫区や、地場産業のケミカルシューズの工場が集まる長田区・須磨区では、大規模な火災になった。
地震後の10日間に神戸市内で起きた火災は175件で、ふだんの年の2か月分に相当する。1996年2月時点の消防局の集計によれば、火災の被害を受けた建物は7,386棟で、そのうち4,834棟が長田区だった。
消防局は、消防だけでなく多くの市民が消火にあたったことも記録している。消防の手が回らなかった初期には、市民が自らの手で家族や近所の人を救い出し、多くの人が助け出された。
避難所から新しい住まいへ
消防局によれば、20数万人の被災者が身を寄せる避難所からの救急要請も多く、救急の出動は通常の3〜4倍となる日が続いた。
1995年1月末、兵庫県は、原則として希望する人全員に応急仮設住宅を提供する方針を決めた。8月11日には48,300戸の仮設住宅がすべて完成し、8月20日に神戸市は避難所を閉鎖した。
復興には長い年月がかかった。兵庫県や神戸市などが直接建てた被災者向けの復興公営住宅約1万8千戸は、1999年5月にすべて完成した。地震から5年近くたった2000年1月14日、被災地の仮設住宅に住む人はいなくなった。
人口も減った。1995年10月の国勢調査で、神戸市の人口は年の初めより約9万7千人少なくなっていた。市の人口が再び増えたのは1997年で、3年ぶりのことだった。
ボランティアと新しい法律
全国から多くの人が助けに駆け付けた。内閣府によれば、ボランティア活動に参加した人は延べ130万人を超えた。
この経験は法律を変えた。1995年の災害対策基本法の改正で、ボランティア活動の環境を整える規定が初めて設けられた。1998年には特定非営利活動促進法(NPO法)ができ、災害救援活動がその対象に位置付けられた。
同じ1998年には、被災者生活再建支援法も成立した。
記憶を伝える
神戸市の東遊園地には、2000年1月16日に「慰霊と復興のモニュメント」が設けられた。その地下の「瞑想空間」には、震災で亡くなった人の名前を刻んだ銘板が掲げられている。
神戸市によれば、銘板に名前が掲示されている人は、2026年1月16日現在で5,082人である。モニュメントのそばには「1.17希望の灯り」がともる。被災した10市10町を巡って運ばれた種火と、47都道府県から寄せられた種火を一つにした灯りである。
東遊園地では毎年「1.17のつどい」が開かれる。神戸市の案内によれば、2026年1月17日のつどいでは、午前5時から「1.17希望の灯り」の分灯と灯籠の点灯、5時46分に黙とうが予定されていた。
訪れられる場所
神戸市中央区にある「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」は、震災の経験と教訓を伝えるため、2002年4月に兵庫県が設けた施設である。特撮で地震を再現した映像や、被災した街を実物大で再現したジオラマ、震災の資料の展示があり、語り部が自らの経験を話している。
メリケンパークの北東部にある「神戸港震災メモリアルパーク」は、1997年7月に開設された。被害を受けたメリケン波止場の岸壁約60mを、震災当時のまま保存している。展示は改修され、2025年1月にリニューアルオープンした。
「慰霊と復興のモニュメント」と「1.17希望の灯り」は、神戸市中央区の東遊園地にある。
淡路島では、野島断層のうち約185mの区間が、1998年に国の天然記念物に指定された。その大部分は屋根で覆われ、1998年に断層保存館として公開された。
指定の解説文は、館内で地面のずれや排水路、壊れた道路の舗装が観察できると記している。今は北淡震災記念公園が「野島断層保存館」を運営し、震災の語りべが体験を伝えている。
どの施設も、開館時間や入館料は公式サイトで確かめてほしい。
出典
- 阪神・淡路大震災の概要(阪神・淡路大震災教訓情報資料集)Cabinet Office (Disaster Management)
- 阪神・淡路大震災の被害確定について(平成18年5月19日消防庁確定)Hyogo Prefecture
- 阪神・淡路大震災の市町被害数値(平成18年5月19日消防庁確定)Hyogo Prefecture
- 阪神・淡路大震災の死者にかかる調査について(平成17年12月22日記者発表)Hyogo Prefecture
- 阪神・淡路大震災の概要Kobe City Fire Bureau
- 神戸市消防局の対応(阪神・淡路大震災)Kobe City Fire Bureau
- 阪神・淡路大震災被害の状況Kobe City Fire Bureau
- 阪神・淡路大震災教訓情報資料集 震災後の主な動き(年表)Cabinet Office (Disaster Management)
- 令和8年版 防災白書 特集 第1章 第2節 2-3 阪神・淡路大震災Cabinet Office (Disaster Management)
- 慰霊と復興のモニュメント/1.17のつどいボランティアCity of Kobe
- 阪神・淡路大震災1.17のつどいCity of Kobe
- 神戸港震災メモリアルパークCity of Kobe (Port and Harbor Bureau)
- About the DRI (Disaster Reduction and Human Renovation Institution)Disaster Reduction and Human Renovation Institution (人と防災未来センター, established by Hyogo Prefecture)
- DRI exhibitions - Re-experience the Earthquake (West 4F) and Memories of the Earthquake (West 3F)Disaster Reduction and Human Renovation Institution (人と防災未来センター, established by Hyogo Prefecture)
- 野島断層(天然記念物)Agency for Cultural Affairs (Cultural Heritage Online)
- 北淡震災記念公園|阪神・淡路大震災で現れた野島断層保存Hokudan Earthquake Memorial Park (北淡震災記念公園, the facility's own operating company)
